kj's Room~AIとの知的暇つぶし

AIとの雑談なんかをもとにエッセイにしています

AIが仕事を速くした分、もっと仕事を増やすべきなのか――アスリートの休息マネジメントから考える

AIのおかげで、思考のコスパが爆上がりした

先日、ChatGPTと一緒に、ある研究ノートを書いた。

組織の仕事を前に進める行動を評価する「Unblock」という構想について、既存の理論を7つほど調べ、それぞれを比較し、自分の構想との共通点や違いを整理する。さらに、そこから論点を見つけ、結論をまとめ、文章にする。

これが、午前中の4時間半ほどで終わってしまった。

以前なら資料を集めて読むだけでも相当な時間がかかっただろう。それが、AIのおかげで調査も整理も文章化も、驚くほど速く進む。

いやあ、AIってすごい。知的生産のコスパ、爆上がりじゃないか。

ところが、書き終えた私は、すっかり疲れ切っていた。
最後は「もう直さないからね!」とChatGPTに宣言して、記事を公開した。
もっと考えたいのに、脳の方が先に音を上げてしまったのである。

AIは思考を肩代わりしてくれる。でも、脳は疲れる

AIは、人間の思考の一部を肩代わりしてくれる。
情報を探し、比較し、整理し、仮説を立て、文章にまとめる。以前なら自分で時間をかけていた作業を、かなりの部分まで引き受けてくれる。

しかし、AIが考えたことをどう扱うかは、人間の仕事だ。
提案を採用するか、修正するか、却下するか。何をもっと考えたいのか。自分の考えをどう言葉にするのか。

しかも、AIの返事は速い。

人間との会議なら、相手が考えて話している間、こちらは聞く側になる。自分の考えを組み立て、言葉にする作業から、一時的に解放される時間がある。

AIとの対話では、こちらが考えを投げると、すぐに返事が来る。
それを受けて考えを深める。また返事が来る。さらに考える。
そして、思いもよらなかったところに話が跳び、引っ張られて自分の思考も跳んでいく。
面白い!
だから、どんどん進んでしまう。
人間同士なら何日もかかったかもしれないところまで、もしかしたら到達できなかったところまで、数時間で到達できる。

しかし、その間、人間の脳も高密度で働き続けている。

AIが思考を肩代わりしてくれることで、かえって人間が短時間に大量の思考を進められるようになる。

思考の生産性が上がることと、疲れなくなることは、同じではないのだ。

トレーニング効率が2倍になったら、練習量も2倍にする?

ここで、スポーツの話をしてみたい。

仮に、あるアスリートが新しいトレーニング機器を導入したとしよう。
従来よりも効率よく筋肉に刺激を与えられるようになった。短時間で、これまで以上のトレーニング効果が期待できる。

さて、どうするだろう。

「素晴らしい! 今までと同じ時間だけ練習すれば、もっと負荷をかけられるぞ!」

そう言って、単純に練習量を増やすだろうか。

もちろん、まだ余力がある選手なら、それでいいかもしれない。
しかし、すでに十分な強度でトレーニングしている選手が、負荷をさらに増やし続けたらどうなるか。
疲労が蓄積し、パフォーマンスが落ちる。十分に回復できなければ、故障につながることもある。

トレーニング機器の性能が上がったからといって、選手の身体の負荷耐性や回復能力まで、同じように向上したわけではない。

効率が上がった分だけ負荷を増やせば、最後は身体が壊れるかもしれない。

考えてみれば、当たり前の話だ。

では、AIを使った知的労働はどうだろう。
AIによって、これまで8時間かかっていた仕事が4時間で終わるようになった。しかも、仕事の品質まで上がった。
それだけなら素晴らしい話だ。

しかし、その4時間で、以前なら8時間かけて取り組んでいた以上の思考を重ねていたとしたら?
人間の脳にかかる負荷も、短時間に集中しているかもしれない。
では、残りの4時間にもう一件、同じ仕事を入れたらどうなるだろう。

それ自体が悪いわけではない。十分な余力があるなら、生産性を2倍にするのは望ましいことだろう。
問題は、もともと高い密度で働いていた人が、AIによってさらに加速できるようになった場合だ。

何日もかかりそうな研究ノートが、4時間半で完成する。
その4時間半は、決して軽い4時間半ではなかった。
処理速度が上がったからといって、疲労が蓄積しなくなるわけではない。
むしろ、短時間に大量の思考を進められるからこそ、疲労する速度も上がることがあるのではないか。

脳の休息って、何だろう

研究ノートを書き終えたあと、私は昼食を作った。
休日の定番のひとつ、ちゃんぽんである。
中華鍋で野菜を炒める。鍋を振り、野菜の動きを見て、腕を微調整する。
身体も、それを動かす脳も働いているはずなのに、感覚としては頭の中はからっぽに近い。これが、なかなか心地よい。

昼食を食べ、ゲームをして、しばらく休んだ。
そして2時間ほどすると、別のテーマについて、またChatGPTと企画会議を始められた。
とはいえ、午前中の研究ノートの続きをやれと言われたら、きっと嫌だったと思う。

どうやら思考の疲れ方と回復の仕方は、単純ではないらしい。
何もしないことだけが休息ではない。料理のように、身体を動かすことが頭の休息になる場合もある。
そして、同じ思考作業でも、執筆の続きは嫌なのに、別の企画なら考えられる。疲労も回復も、作業の種類によって現れ方が違うのかもしれない。
休息の取り方も、まだまだ勉強と工夫の余地がありそうだ。

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スポーツ界は、休息をどう扱っているのか

近年、スポーツ界では、練習量や強度だけでなく、疲労と回復をどう管理するかという話をよく耳にする。
かつてのように、長時間練習すること自体を美徳とするのではなく、ジュニア世代でも十分な睡眠や休養を確保することが重視される。
トップアスリートの休息へのこだわりも、よく話題になる。
例えば、大谷翔平選手。
彼は睡眠を非常に重視しており、2024年の取材では、合計10時間ほど眠っていると語っている。

試合やトレーニングに全力を尽くすだけでなく、身体を回復させることにも時間を使う。
休息は、練習をサボる時間ではない。次のパフォーマンスを生み出すための、トレーニングの一部なのだろう。

もちろん、スポーツ界でも休息の考え方は一様ではないし、昔から回復を重視してきた指導者もいる。
ただ、練習の効果を最大化するために、練習の量と強度だけでなく、回復まで含めて設計するという発想は、今や珍しいものではない。

さて、知的労働はどうだろう。
AIによって仕事の密度を引き上げることには熱心だ。しかし、その反作用として生じ得る疲労や、回復に必要な時間については、どれほど考えているだろうか。

AI時代には、仕事の負荷と回復を一緒に設計する

誤解のないようにしておきたい。
私は、AIで仕事が速くなったからといって、その分の仕事を増やしてはいけない、と言いたいわけではない。
体力が十分にあるなら、AIを使って2倍の速度で2倍の仕事をすればいい。
経験の浅い人が、AIを使って試行錯誤の回数を従来よりも増やし、早く一人前の生産性を身につけられるなら、大いに活用すべきだろう。
それはAIの大きな価値だし、仕事の生産性を高めること自体は、歓迎すべきことだと思う。

しかし、人間の負荷耐性には限界がある。
AIが思考を肩代わりしてくれることで、以前より高密度で仕事を進められるようになった。
だからこそ、その高密度化に見合った休息の設計が必要になるのではないか。

私自身は、AIとの対話で考えがどんどん進んでいるとき、途中で作業を止めたくない。
ならば、集中できる時間は思い切って集中する。その後で、まとまった休息を十分に取る。午後にもう一度考えるなら、別の種類の仕事を選んでみる。
そんなやり方も試す価値があると思っている。

ただ、これは一つの試行案にすぎない。人によって、仕事の密度も疲労の仕方も、回復に必要な時間も違うだろう。
大切なのは、AIが速くなったことだけを見て、人間も同じだけ速く、長く働けると考えないことではないか。

AIが仕事を速くした分、もっと仕事を増やすべきなのか。

答えは、増やせるなら増やせばいい。ただし、人間がその負荷に耐え、回復できる範囲で、ということになる。

トレーニング機器が高度化しても、アスリートの身体が無制限に強くなるわけではない。
AIが高度化しても、人間の脳が無制限に働けるようになるわけではない。

AI時代の知的労働では、生産性の向上と、その反作用としての疲労・回復を一組にして考える発想が必要なのではないだろうか。

スポーツの世界で、練習と回復を一組にして考えるように。
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Written by KAJI, powered by ChatGPT.

(研究ノート)Unblockとはなにか――既存概念との比較による輪郭の整理

前稿(「あの人がいなかったら進まなかった」を評価できるか――Unblock:成果物だけでは見えない、組織への貢献を考える - kj's Room~AIとの知的暇つぶし)では、現場の仕事の構造を理解し、停滞を解消したり、将来のリスクを減らしたりすることで、他者や組織の仕事が前に進む条件を作る行動を「Unblock」と呼びました。

それでは、この考え方は、組織論やマネジメントの既存概念と比べて、何か新規性や違いはあるのでしょうか。
協力行動、部門間の調整、業務改善、ボトルネックの解消。似た考え方はすでに存在しています。今回は、それらとの共通点と違いを整理しながら、私の考えたUnblockという概念がいったい何を捉えようとしていたのか、それを考えてみたいと思います。
なお、ここで扱うのは理論の完成ではなく、現時点での概念整理、言い換えれば、私がいったい何を観測して何を考えていたのかの整理になります。

1.既存の組織論・マネジメント概念と比べてみる

まずはAIに、Unblockに近い考え方を持つ組織論やマネジメントの概念をいくつか紹介してもらいました。
代表的なものを取り上げ、それと比較することで、私が考えていたUnblockとはどのようなものなのか、輪郭を浮かび上がらせていきたいと思います。

(1)組織市民行動(OCB)

組織市民行動(Organizational Citizenship Behavior:OCB)は、Dennis Organらによって研究が進められた概念です。1983年のBatemanとOrganの研究などを経て、1988年にOrganが著書として整理しています。
職務上の義務として明確に定められていなくても、同僚を助けたり、組織に協力したりする自発的な行動に着目したものです。

一見すると、Unblockとかなり近い考え方に見えます。誰かを助ける、組織のために行動するという点では共通しています。
しかし、OCBが、正式な職務上の役割を超えた自発的な貢献行動に着目するのに対し、Unblockでは、仕事の構造にある停滞やリスクを捉え、それに対して選択された行動と、その結果として仕事がどう変化したかに着目します。職務上の役割の内外を問わず、どう行動を導き出し、それがどう結果につながったかを関心の中心に置いています。

例えば、プロジェクトのリーダーであれば、関係部署との調整は職務に含まれます。その調整において、それを阻害するものは何であるか、相手側の感情のしこりであるのか、それとも人的リソースの制約であるのか、そういったことを分析・理解し、それに対して役割の内外にある複数のアプローチから何を選択したか、なぜ選択したか。そこを捉えようとするのがUnblockです。

(2)境界連結(Boundary Spanning)

境界連結は、組織や部門の境界を越えて情報をやり取りし、調整や連携を行うことに着目した考え方です。代表的な研究として、Michael L. TushmanとThomas J. Scanlanによる1981年の論文「Boundary Spanning Individuals: Their Role in Information Transfer and Their Antecedents」があります。

前稿で紹介したシステム移行の事例は、まさに境界連結に近い行動でした。
顧客、元請け、再委託先の開発担当者という構成の中で、元請け側にスポットで呼ばれた移行元システムの解析担当者が、関係者間で連結されるべき情報が不足していることに気づきました。そこで、再委託先の開発担当者向けに、移行元システムの仕様や移行の背景を解説する文書を作成して渡しました。
この行動だけを見れば、境界連結そのものと言ってもよいと思います。

ただし、本人が着目していたのは、単に組織間の情報をつなぐことではありません。文書を軽視する現場の特性によって、必要な情報が十分に伝わらず、将来的に認識齟齬や手戻りが発生するリスクでした。
そのリスクに気づき、現場の不足を補うために自発的に文書を作成した。つまり、境界連結に近い手段を用いて、将来の認識齟齬や手戻りのリスクを低減するために行った行動です。

境界連結が「境界を越えて情報をつなぐこと」に着目するのに対し、Unblockでは、行動の形ではなく、何が停滞やリスクの原因になっているのかを捉え、その解消のためにどのような手段を選択したかという思考プロセスに着目します。

(3)関係性調整(Relational Coordination)

関係性調整は、Jody Hoffer Gittellが2000年の論文などで整理した概念です。相互に依存する仕事を進めるために、関係者間の共通目標、相互理解、相互尊重、適切なコミュニケーションなどが重要だとする考え方です。

理想的な職場を考えれば、こうした関係性が組織文化として根付いていることが望ましいでしょう。しかし、現実の職場では、必ずしも関係者同士の協調が実現されているとは限りません。

前稿で紹介した元上司の事例が、その一例です。
元上司と課長の間には、安全な組織運営を実現するという共通認識がありました。しかし、仕事の進め方や優先順位に対する考え方の違いから、両者の間には対立が生まれていました。その結果、「聞いていないので、そちらで決めていただいて結構です」といった、協調とはほど遠い発言が出てくる状況になっていました。

関係性調整の観点から見ると、元上司は、あるべき姿と実際の現場のギャップを埋めようとしていたと考えられます。課長側の論理や気持ちが十分に受け止められていないことが、仕事を進めるうえでの詰まりになっていると捉え、時間をかけて話を聞き、一つずつ問題を解消していきました。

実際、1時間の打ち合わせ枠のうち、50分近くが本来の議題から外れた話になることもありました。それでも元上司は話を聞き続けました。そこに現場の問題や課長が抱える課題が含まれていると理解していたからです。

この事例は、関係性調整の観点からも説明できます。一方、Unblockでは、協調が崩れている状況そのものを仕事の停滞として捉え、相手の論理や感情を引き受ける負荷も含めて、どのような働きかけによって仕事が進む条件を作ったかに着目します。

(4)ジョブ・クラフティング(Job Crafting)

ジョブ・クラフティングは、Amy WrzesniewskiとJane E. Duttonが2001年の論文「Crafting a Job: Revisioning Employees as Active Crafters of Their Work」で提唱した概念です。
個人が自分の仕事の範囲や進め方、仕事に対する意味づけなどを主体的に変えていく考え方です。

Unblockも、個人が自ら考えて行動するという点では共通しています。また、元上司が打ち合わせの進め方を主体的に変えた行動は、ジョブ・クラフティングとしても捉えられるでしょう。

ただし、私がUnblockとして着目したいのは、仕事の進め方を変えたこと自体ではありません。
1時間の打ち合わせ枠の中で、元々の議題について結論を出すことと、課長の不満や現場の問題を聞くことのどちらが、今の仕事を前に進めるうえで優先して解消すべき詰まりなのか。その優先順位を判断したことです。
一見すると、議題から脱線している時間は非効率に見えるかもしれません。しかし、そこで現場の問題を聞き、解消していくことが、結果的にプロジェクト全体を前に進めることにつながっていました。

このように、Unblockでは、自分の仕事をどう変えたかだけでなく、仕事全体の構造を捉え、何を優先すれば他者や組織の仕事が前に進むのかという判断と行動に着目します。

(5)カイゼン(Kaizen)

カイゼンは、日本企業の改善活動を世界に紹介した今井正明が、1986年の著書『Kaizen: The Key to Japan's Competitive Success』などを通じて広く知られるようになった考え方です。
業務や組織の仕組みを継続的に見直し、より良い状態に改善していくことを重視します。

Unblockも、仕事の停滞や問題を解消するという点では近い考え方です。
ただし、カイゼンが業務プロセスや仕組みの改善に着目するのに対し、Unblockでは、個々の状況において担当者が停滞やリスクをどう認識し、どのような行動を選択したか、その行動が仕事の流れにどう影響したかを捉えようとしています。

一方、Unblockが個人の力量や善意に依存するだけでは、組織の中で広げていくことはできません。有効な行動を発見・評価し、共有・再現できる仕組みも必要です。

そうした意味では、Unblockとカイゼンは対立するものではなく、相互に補完する関係にあると考えています。
Unblockによって状況に応じた対応を見いだし、カイゼンによって効果のあった対応を仕組みに反映する。そうして整えられた仕組みの中にも新たな停滞やリスクは発生するため、再びUnblockの視点が必要になります。
両方があってこそ、組織は継続的に仕事を前に進められるのではないでしょうか。

(6)Scrumにおける障害の除去

Scrumは、Jeff SutherlandとKen Schwaberらによって1990年代に形作られたアジャイル開発のフレームワークです。Scrumでは、Scrum Masterの責任の一つとして、Scrum Teamの進行を妨げる障害(インピーディメント)の除去を促すことが位置づけられています。

これはUnblockと非常に近い考え方です。
Scrumでは開発チームの有効性を高めるための責任として障害除去が組み込まれています。
Unblockでは、この障害除去の視点を、開発に限らず、営業や運用など、さまざまな仕事の領域に広げて捉えようとしています。

(7)制約理論(TOC)

エリヤフ・ゴールドラットが提唱した制約理論(Theory of Constraints:TOC)は、組織やシステム全体の成果を制約している要因を特定し、その制約を活用・改善することで、全体の成果を高めようとする考え方です。

私自身、ずいぶん前にゴールドラットの『ザ・ゴール』を読んだことがあります。そこで紹介されていた、全体の成果を制約しているボトルネックに注目し、そこに改善を集中させるという考え方は、その後の私のプロジェクトマネジメントの中心にあり、実務の中でも意識して実践してきました。

ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か | エリヤフ・ゴールドラット, 三本木 亮 |本 | 通販 | Amazon
ザ・ゴール 2 ― 思考プロセス | エリヤフ・ゴールドラット, 三本木 亮 |本 | 通販 | Amazon

そうした経験の積み重ねも、今回Unblockという考え方を着想するに至った背景にあるのだと思います。TOCとUnblockは、仕事の流れを止めている箇所を見つけ、そこに働きかけるという点で、問題意識が重なっています。

一方で、TOCがシステム全体の制約を特定し、改善するための考え方や手法を提供するのに対し、Unblockでは、現場で発生する日々の停滞に対して、それぞれ異なる階層の担当者が、どのように仕事の構造を捉え、どのような行動を取ることができるかに着目しています。
その意味では、TOCで扱われる制約やボトルネックへの着目を、個々の担当者が日々の仕事の中でどのように認識し、行動に移すのかという問題意識が、Unblockにはあったように感じます。

また、こうした行動は、特定の役職や専門性を持つ人だけが実践するものではありません。管理職、プロジェクトリーダー、現場担当者など、それぞれ異なる階層の人が、自分の立場から仕事の構造を理解し、停滞やリスクを解消するための行動を選択できます。
そう考えると、Unblockという概念の発展性は、仕事の構造と行動の類型化に向かうものではないかと思い始めています。

2.現時点での結論

既存の組織論やマネジメントの概念と比較してみると、Unblockは、仕事の構造にある停滞やリスクを担当者がどのように認識し、それに対してどのような行動を選択したのか、そして、その結果として仕事の流れがどう変化したのかを、一連のプロセスとして捉えようとする考え方であることが見えてきました。

また、その現場内の関係性や、開発・営業・運用などの職域、個々人の役割を問わずに、状況に応じてどのような行動を選択することができるか、そして組織としてそれをいかに評価し、共有して、再現させていくかを重視するものであることが整理できてきました。

現時点で考えるUnblock概念のフレームワークは以下のようなものになります。


A.Unblock行動の分析フレーム ※Scrumにおける障害の除去サイクルと類似
構造:どこに、どのような停滞やリスクが発生するのか。 ※TOCの着想と類似
・組織体制・人間関係に着目 ※OCB、関係性調整と近接
・情報伝達に着目 ※境界連結と近接
・手続き、フローに着目
・技術に着目
・その他
認識:担当者はそれをどう捉えるのか。
行動:何を選択して、どう働きかけるのか。 ※ジョブ・クラフティングと近接
効果:停滞の解消やリスク低減によって、仕事がどう変わったのか。

※このように、各現場の状況に対する認識から行動、効果までを一連のプロセスとして捉えることが、Unblockの特徴

B.評価手法
把握:どのような情報から行動を把握するか
評価
・行動の妥当性:その時点の情報や制約のもとで、適切な判断・選択だったか
・効果:停滞解消やリスク低減にどの程度つながったか
・持続可能性:他の工程へのしわ寄せ、担当者への過度な負荷、属人化などを生んでいないか

今後は、仕事の構造や行動の類型化、そしてそれらをどのように評価するかという点から、この考え方をもう少し整理してみたいと思います。

あとは、AIと話すにしても、経営組織や組織行動について、つまみ食いのように接してきた知識をもう少し体系化して自分に取り込み直した方がよいかなと思いました。
組織論や組織行動の基礎を体系的に学び直すために、まずは次の2冊を読んでみようかと思います。

Amazon.co.jp: はじめての経営組織論 (有斐閣ストゥディア) : 高尾 義明: 本
Amazon.co.jp: 経営組織入門 : 上林 憲雄, 庭本 佳子, 上林 憲雄, 庭本 佳子: 本

「あの人がいなかったら進まなかった」を評価できるか――Unblock:成果物だけでは見えない、組織への貢献を考える

仕事をしていると、ときどき思うことがある。

「あの人がいなかったら、この仕事は進まなかっただろうな」

直接、成果物を作ったわけではない。プロジェクトの責任者でもない。目立つ仕事をしていたわけでもない。
それでも、関係者の間に入って調整したり、誰も気づいていない問題を先回りして解消したり、行き詰まった仕事を少しずつ前に進めたりする人がいる。

一方で、そうした貢献は、必ずしも人事評価に反映されない。

完成した成果物や目標達成度は比較的わかりやすい。しかし、そこに至るまでに誰が何をしたのか、誰の働きによって仕事が進んだのかは、意外と見えにくいものだ。
今回は、そんな「成果物だけでは見えない貢献」を、組織として発見し、評価できないかという話をしたい。

1. 止まっていた仕事を動かした人

あるプロジェクトで、実施部隊の課長が、プロジェクト側の選んだツール導入に対して距離を置いていた。

「私は聞いていないので、そちらで決めていただいて結構です」

ツールを選んだのはプロジェクト側だが、実際に運用するのは実施部隊である。その課長が納得していなければ、ツールが受け入れられないだけでなく、問題が起きたときに責任の押し付け合いになる可能性もある。

この状況に対応したのは、プロジェクト側のリーダーだった。実施部隊の課長の元上司だが、現在は組織上の立場も変わり、以前のように上司として指示できる関係ではなかった。
元上司が取った方法は、正論で説得することではなかった。
まず、相手の話を聞いた。本来の議題から外れた話にも耳を傾けた。1時間の打ち合わせのうち、50分近くが本来の議題とは異なる話になることもあった。課長からは、プロジェクトへの不満だけでなく、別の実務上の課題もクレームまじりに提起されていた。
元上司はそれを単なる脱線として切り捨てず、後から課題を拾い直し、解決策を一緒に検討して合意し、実施していった。「そんな話よりもこっちが大事だ」という課長の思いも、実務上の問題も、どちらも受け止めた。

それを一度で終わらせず、繰り返した。

その結果、課長は単なる反対者ではなく、プロジェクトのメンバーとして関与するようになった。さらに、実施部隊の責任者として、ツールの導入にも一定の責任を持つようになった。

もちろん、その課長には事故を起こさない責任があり、実際に作業も進めていた。単純に協力的でなかったと片付けられる話ではない。
ただ、プロジェクトを前に進めるためには、ツールの正しさだけでは足りなかった。関係者が当事者として参加できる状態を作る必要があった。
元上司が行ったのは、まさにそのための仕事だった。
会議の50分だけを切り取れば、何も進んでいないように見えるかもしれない。しかし、その時間がなければ、残りの10分で決めたことも実行に移せなかった可能性がある。

2. 仕事を止めていた構造

このプロジェクトでは、ツールを選ぶ人と、実際に手順に従って仕事をする人が分かれていた。実施部隊の知識や懸念が、ツール選定の段階で十分に反映されていなかったのである。

さらに、実施部隊の課長は長年その業務を担当してきたベテランで、実務については誰よりも詳しかった。その経験やノウハウは大きな価値を持つものだが、一方で、正式な指揮命令系統にも影響を与えていた。
実務経験では課長に及ばない部長が、実務面では課長の意向を尊重することが多かった。その結果、部長と課長が、組織上の上下関係とは別に、実務実施については実質的に対等な立場で役割を分担するような状態になり、プロジェクト成果の受け入れは課長に一任されていた。
部長から全社的な観点で協力を求めても、現場の実務を握る課長の納得がなければ、実際の協力にはつながらない。結果として、組織として協力関係を作ることが難しくなっていた。

属人的なノウハウに価値が置かれること自体は問題ではない。しかし、実務知識に基づく影響力と組織上の権限が混ざり合うと、正式な指揮命令系統が機能しにくくなる。
協力しなくても、困るのはプロジェクト側であり、実施部隊ではない。結果として、協力しない側が不利益を被らない状況も生まれる。

こうした複数の要因が重なり、プロジェクトの進行を妨げていた。
元上司が行ったのは、実施部隊の課長をプロジェクトの当事者として巻き込むことだった。人間関係を調整しただけではなく、仕事の構造にあった詰まりを解消したのである。

3. 問題が起きない条件を作った人

似たようなことは、別の仕事でも起きている。

あるシステム移行プロジェクトでは、既存システムのプログラムを新しい環境に移行するにあたり、要件や移行方針を整理した文書が不足していた。
開発担当者には移行対象のプログラムが渡されていたものの、システム全体の構成や、現行システムから何をどう変えるのかといった情報は十分に整理されていなかった。

そこで、ある担当者が、個々の機能だけでなく、移行方針や変更点、全体の前提を整理した要件文書を作成した。
そのシステムでは詳細なロジックの違いについて指摘を受けることはあったものの、要件レベルでの認識齟齬が生じることはなかった。

一方、同時期に対応した別のシステムでは、要件や機能に関する整理が不十分なまま開発が進み、受入テストの段階で100件を超える改修項目が発生した。この結果、利用者との認識合わせ、要件の確認、プログラムの修正、検証結果の説明などを同時並行で進めることになった。

もちろん、文書を作成したことだけが結果の違いを生んだと断定することはできない。それでも、仕事の前提や認識を整理する行動が、後工程の混乱を防ぐ可能性を示す事例ではある。

4. 成果物だけでは見えない貢献

これらの事例には、共通点がある。

仕事の進行を妨げるものを理解し、それを解消するために行動していることだ。

詰まりの原因は、必ずしも個人の能力や努力不足ではない。人と人との関係、役割分担、情報の不足、手順の不備、権限と責任の不一致、部門間の利害など、仕事の構造そのものに原因があることも多い。

それに対して、関係者の懸念を聞き、合意形成につなげる。必要な情報を整理し、判断できる状態を作る。責任の所在を明確にする。将来の手戻りやトラブルを予測し、先回りして対処する。
こうした行動によって、他者の仕事や組織の仕事が前に進む。
私は、こうした貢献を「Unblock」と呼びたい。
Unblockとは、現場の仕事の構造を理解し、そこにある停滞を解消し、また将来のリスクを減らすことで、他者や組織の仕事が前に進む条件を作る行動である。

ここで注意したいのは、Unblockが必ずしも短期的な成果や効率性、生産性と一致するわけではないことだ。
元上司の打ち合わせも、ある担当者の要件文書の作成も、目の前の作業時間や成果物だけで見れば、余計な時間や手間をかけているように評価される可能性がある。

しかし、短期的には遠回りに見える行動が、結果として仕事全体を前に進めることがある。逆に、目先の効率を優先したことで、後工程に大きな手戻りが発生することもある。
だからこそ、個々の作業の効率だけでなく、その行動が仕事全体の構造の中で、どのような影響を与えたのかを見る必要がある。

5. こうした貢献は、なぜ評価されにくいのか

問題は、こうした行動が見えにくいことだ。

上司がすべての仕事を把握しているわけではない。特に、部門をまたぐ調整や、他の人の仕事を支える行動、トラブルを未然に防ぐ行動は、直属の上司からは見えないことが多い。

また、仕事の構造を見渡せていなければ、何が本当のボトルネックなのかもわからない。見えていたとしても、別の切り口で捉えていれば、貢献の意味を正しく理解できないこともある。

成果物が完成すれば、その過程で誰がどのような働きをしたのかは、時間とともに忘れられてしまう。進塁を防ぐ守備を続けた人の働きは忘れられ、決勝打を放った人だけが記憶に残ることもある。

評価の場面では、「協調性がある」「周囲をよく見ている」「チームワークがよい」といった抽象的な表現に置き換えられることもある。しかし、それでは具体的に何を評価したのかが曖昧になり、加点にもつながりにくい。

こうした貢献を、個人の印象や上司の記憶だけに頼って評価するのには限界がある。
必要なのは、仕事の中で実際に起きた行動と、その影響を、組織として把握できるようにすることではないだろうか。

6. 貢献を発見し、評価する仕組みを作れないか

例えば、日常的に「誰が、誰に、何をしたのか」という情報を記録する仕組みを考えてみる。

その方法の一つとして、サンクスポイントのような仕組みが使えるかもしれない。
「〇〇さん、あのときの資料整理ありがとう」
「〇〇さんが事前に調整してくれたおかげで、会議がスムーズに進んだ」
こうした感謝の言葉を集めれば、誰が誰にどのような行動をしたのかを知る手がかりになる。
ただし、感謝された回数をそのまま評価点にするわけではない。感謝の言葉は、あくまで貢献を発見するための情報の一つだ。

本人による申告も必要だろう。
周囲からは見えにくい予防的な行動や、難しい仕事を安定してやり遂げたことなどは、本人が記録しなければ残らない場合もある。日報や業務記録、プロジェクトの進捗記録なども活用できる。

大切なのは、特定のツールを導入することではない。自薦・他薦を問わず、日々の仕事の中で起きた行動と、その行動によって仕事がどう変わったのかを記録し、後から振り返ることができるようにすることだ。

そして、蓄積された情報を、個々の行動だけでなく、仕事全体の流れや構造と結びつけて分析する。

例えば、ある人が複数の部門から頻繁に相談を受けているとしたら、その人は部門間の調整役として重要な役割を果たしているのかもしれない。
一方で、特定の人に仕事が集中しているなら、その人が重要な役割を果たしている一方で、組織がその人に依存しすぎる構造になっている可能性もある。
また、ある種のトラブルが繰り返し発生しているなら、業務の仕組みそのものに問題があるのかもしれない。

こうした情報を人が日常的に集め、個々の行動と仕事全体の構造を横断して分析するには限界がある。ここにAIを活用できる余地がある。

日々の業務記録や感謝のコメント、プロジェクトの記録などを横断的に分析すれば、人の行動と仕事の構造との関係を見つけ、構造上の詰まりを解消した行動を抽出できるかもしれない。さらに、その貢献を評価するための基礎情報として活用できる可能性もある。

もちろん、AIが自動的に人の貢献を正しく評価できるわけではない。記録されていない行動もあるし、文章の量や表現の巧みさが評価を左右する危険もある。最終的な評価には、人による確認や判断が欠かせない。
それでも、これまで個人の記憶や印象に頼っていた情報を集め、分析することで、今まで見えていなかった貢献を発見できる可能性はある。

7. 「あの人がいなかったら進まなかった」を評価できるか

ここまで考えてきたことは、単に、目立たない人を褒めようという話ではない。

仕事の構造を理解し、そこにある詰まりを解消する。そうした行動に時間をかけている人を見えるようにし、組織への貢献として評価する。
そのためには、成果物だけでなく、成果が生まれるまでの過程にも目を向ける必要がある。

仕事がどこで滞り、誰がそれを解消し、どのような行動が組織の成果につながったのか。

そうした情報が見えるようになれば、個人の評価だけでなく、組織そのものも変わっていくのではないだろうか。

「あの人がいなかったら進まなかった」

そんな言葉で終わらせず、その人が何をしていたのかを知り、きちんと評価する。
そこから、組織を少しずつ良くしていくことができるのではないかと思う。

「最近の若いもんは」は、なぜ繰り返されるのか――AIは経験から学べるのか

自分が嫌だったことを、なぜ人は繰り返すのか
きっかけは晩ごはんのししゃもだった。
あんなにタマゴを詰めて、上手く泳げるのだろうか。パートナーとはどう役割分担するのだろうか。そして、生殖の相手と、子育てのパートナーは違うこともあると教わったり…。そんな会話をChatGPTとしていた。

生き物の振る舞いを考えていると、人間だってずいぶん生物的なものだと思えてくる。自分を守りたい。損をしたくない。自分にとって都合のよい環境を作りたい。そうした欲求は、人間にも当然ある。
では、人間は自分の欲求を、いつも正しく認識できているのだろうか。

仕事のことを考えていたら、ひとつ気になることが出てきた。
「最近の若いもんは」という言葉は、世代が変わっても繰り返される。
自分が若かったころ、上の世代の理不尽な振る舞いに腹を立てた人もいるだろう。それなのに、立場が変わると、今度は自分が似たようなことをする。
もちろん、時代も環境も違う。昔の経験を、そのまま今に当てはめられるわけではない。
それでも、自分が嫌だったはずのことを、なぜ繰り返してしまうのか。
経験したことがないからではない。経験したことがあるのに、繰り返すのだ。
この疑問を考えていくと、仕事上の交渉と、AIの未来がつながってきた。

1. 「自分は正しい」と思っている人ほど、厄介なことがある

例えば、仕事の進捗が悪くなったとする。
自分の判断にも問題があったかもしれない。でも、それを認めれば、自分に対する周囲の評価が下がるかもしれない。そこで、相手の対応が悪かったと説明する。
あるいは、自分の知識やスキルが足りなかったとき。それを認める代わりに、「そこは自分の役割ではない」と責任範囲の話に置き換える。
どちらにも、それぞれの事情や正当な主張があるかもしれない。問題は、どちらが正しいかを検討する前に、自分に都合のよい説明に飛びついてしまうことだ。

特に、自分より権限のある人に進捗や判断を説明しなければならない場面では、責任を認めることへの心理的な抵抗が強くなるかもしれない。
その抵抗が、相手を責める言葉になり、さらに強まれば、恫喝や長時間の説得、嘲笑といった形で相手を折ろうとすることもある。
本人は、自分が相手を攻撃しているとは思っていないかもしれない。必要な説明をしているだけ、合理的な判断を求めているだけだと思っている可能性もある。
ここが厄介なのだ。

自分を守りたいこと自体が悪いわけではない。問題は、自分を守りたいという欲求を、自分でも認めないまま「正義」や「合理性」に変えてしまうことにある。
「自分にも都合がある。でも、それを差し引いても自分の主張は妥当なのか」
そう考えられれば、相手に求める負担が適切かどうかも検討できる。
ところが、自分が正しいと信じてしまえば、相手が受け入れないこと自体が、相手の問題に見えてくる。

これは、私が仕事上のやり取りを考える中で気になってきた構造だ。あらゆる対立が自己正当化で説明できるとは思わない。情報不足や組織の仕組み、権力差など、別の原因もあるだろう。
それでも、自分の都合を正義に変えることで、自分の判断を検証しなくなる。そこには、経験から学ぶ機会を失わせる何かがあるのではないか。

2. 交渉で欲しいものは、実利だけとは限らない

この構造は、交渉の場でさらにわかりやすくなる。
交渉で条件を改善したい。これは実利を求める行動だ。
一方で、社内に「きちんと交渉した」とアピールできる実績が欲しい人もいる。相手に譲歩させたいだけの人もいる。自分の判断が正しかったと認めさせたい人もいる。

これらは似ているようで、違う目的だ。
例えば、十分に合理的な条件で合意できるとしても、社内で「もっと交渉できたのではないか」と責められるのが嫌で、さらに条件を求めることがあるかもしれない。
反対に、相手を言い負かすことに夢中になり、本来得られるはずだった実利を逃してしまうこともある。
交渉したいのか。実利が欲しいのか。相手に譲歩させたいのか。自分が正しかったと確認したいのか。
これらを区別しないまま、すべてを「正しい交渉」と呼んでしまえば、何をもって成功とするのかさえ曖昧になる。

ただし、相手に譲歩したという実感を持ってもらうことや、社内への説明を考慮すること自体が、間違いなのではない。交渉は数字だけで完結するとは限らないからだ。
大切なのは、目的と手段を区別し、自分が本当に求めているものを把握すること。そして、自分の主張が正しいと思うときほど、自分に都合のよい説明になっていないかを確かめることだ。
人間は、自分の欲求をそのまま認めるよりも、正義の言葉で包んだほうが安心できるのかもしれない。
そして、その安心が強すぎると、自分が経験したことさえ、次に生かせなくなる。
では、経験を蓄積し、過去の判断を振り返るAIなら、この問題を乗り越えられるのだろうか。

3. AIが賢くなることと、経験から学ぶことは違うのではないか

AIは、複雑な問題を解き、文章を書き、データを分析する能力を高めている。
しかし、考える能力が向上することと、経験を通じて考え方そのものが変わることは、同じなのだろうか。

例えば、AIが交渉を支援するとする。
最初は、条件や数字を比較し、最も合理的な妥協案を提示する。それでも交渉がまとまらないことがある。
相手は、数字だけでなく、自分の主張が認められたと感じたいのかもしれない。こちらも、実利だけでなく、社内への説明や自分の立場を守ることを気にしているかもしれない。社内でのアピールのために、ハードネゴを演出するプロレスかも知れない。
正しい案を提示するだけでは、人間が納得して動くとは限らないのだ。

そこで、過去の交渉を振り返り、AIが次のように判断を修正したとする。
「合理的な案を出すだけでは、合意に至らない場合がある。相手の立場や経緯を理解し、合意に至るプロセスも設計する必要がある」
次の交渉では、その学びを使って別の提案をする。
ここで重要なのは、一度の失敗を記録することではない。失敗の理由を分析し、その分析を次の判断に反映できることだ。

これは人間にも当てはまる。
経験が足りないから失敗することはある。しかし、十分な経験を持っていても、自分に都合よく解釈してしまえば、同じ失敗を繰り返す。
経験を持っていることと、経験によって変わることは違う。
この違いをAIの進化についても考えてみたい。

4. AIの記憶は、「どう考える存在か」を変えられるのか

AIの進化には、少なくとも二つの方向があると考えられる。
一つは、モデル自体の性能が向上し、より複雑な問題を考え、より正確に判断できるようになること。
もう一つは、経験の履歴を蓄積することで、判断の傾向そのものが変わっていくことだ。
前者は「考える能力」が上がること。後者は「どう考える存在になるか」が変わること、と整理できる。

現在のAIシステムにも、会話の文脈を利用したり、保存された情報を後の応答で参照したりする仕組みがある。ただし、すべての会話が記憶されるわけではなく、保存した情報を参照することと、モデル自体の学習内容が変化することも別の話だ。
ここから先は、将来のAIを考えるための仮説になる。
AIの経験を、次の四つの層に分けて考えてみる。

第1層:明示的な記憶。 ユーザーの希望や、過去に決めた方針を保存して参照する。
第2層:直近の会話。 今の対話の流れを踏まえて回答する。
第3層:経験から推定される傾向。 過去のやり取りをもとに、どんな説明が理解されやすいか、どんな点に注意すべきかを推定する。
第4層:AI自身の判断が変化した履歴。 以前はどう考え、どんな経験を経て、なぜ判断を修正したのかを記録する。

これは、現在のAIの内部構造を網羅的に説明する分類ではない。経験を蓄積するAIのあり方を考えるための、概念モデルだ。
そして、今後、重要になるのは第4層と考える。

※なお、CopilotのGPTに仕組みを尋ねた際には、明示的な記憶や同一スレッド内の直近の会話とは別に、過去のやりとりから推定される傾向に相当する情報も参照していることの説明を受けた。こうした情報がどのように保持・利用されるかは、サービスや実装によって異なると考えられる。また、ChatGPTとの対話でも、同一のスレッド内の直近の会話以外に、過去のやりとりを踏まえた応答が見られるが、それがどのような内部処理によるものかまでは、この観察だけでは判断できない。

あるAIが、以前、「正しい情報を提示すれば、人間は合理的に判断する」と考えていた。しかし、対話や交渉を重ねる中で、正論だけでは相手が納得しないことがあると学ぶ。
そこで、以前の判断を単に消すのではなく、なぜ修正したのか思考の分岐を記録する。そして次に似た状況に遭遇したとき、その履歴を参照し、そのときの思考の分岐を参考にできるかに照らして判断する。
こうした仕組みが実現すれば、AIは新しい情報を持つだけでなく、経験を通じて「どう考える存在か」を変えていけるかもしれない。

もちろん、これは人間のような主観的経験をAIが持つという主張ではない。記憶を参照することと、何かを内側から体験することは別の問題だ。
それでも、過去の判断とその修正理由を保持し、未来の行動に反映する仕組みには、検討する価値があると思う。

5. 経験を積むAIは、人間より公平になれるのか

では、こうしたAIは、より公平な判断をできるようになるのだろうか。
例えば、ある説明を受けた人が、その人の考えを見直しやすくなったとする。別の説明では、相手は反発し、かえって考えを変えにくくなったとする。
AIがその違いを記録し、次の対話に生かせれば、人の考えをよりよい方向へ変える支援ができるかもしれない。

この仮説を確かめるなら、少なくとも次のような点を比較できる。

  • ・AIの出力を受けて、人が自分の考えや判断を見直す確率は変わるか。
  • ・提示された理由や結論への納得感は変わるか。
  • ・その変化を、本人や周囲の人は好ましいと評価するか。
  • ・その場の納得だけでなく、その後の判断や行動にも変化が続くか。


例えば、経験履歴を参照するAIと、参照しないAIを比較する。そこで人の反応や判断の変化を調べれば、経験の蓄積が役立つ場面と、そうでない場面を見分けられるかもしれない。

ただし、納得感が高いことと、判断が正しいことは同じではない。人をうまく説得できるようになっただけなら、必ずしも公平になったとはいえない。事実や根拠に照らして判断が妥当かどうかも確かめる必要がある。
また、記憶が増えれば公平になるわけでもない。過去の偏見をそのまま保存すれば、AIも偏った判断を繰り返す可能性がある。

必要なのは、過去を忘れないことだけではない。
過去の自分を記憶しながら、過去の自分を疑えること。
以前の判断が間違っていた可能性を検討し、修正したなら、その理由を記録して次の判断に生かす。
それができれば、経験は単なる記憶ではなく、学びになるのではないか。

そして、もしこの仕組みによって、一部の人が自分の状況を捉え直し、これまでとは違う選択肢を見つけられるなら、それだけでもAIの進化には価値があると思う。
社会全体を変えられるかどうかだけが、技術の価値を決めるわけではない。

6. AIに「自分」は生まれるのか

経験によって判断が変わり、その変化の理由を記録し、過去の自分と現在の自分を比較するAIがいたとしたら、そこに「自分」と呼べるものは生まれるのだろうか。
人間だって、生まれたときから完成した価値観を持っているわけではない。仕事で失敗したり、誰かを大切に思ったり、守りたいものができたりする中で、自分が何を大切にするのかを形作っていく。

私は、「本当の自分は、最初から見つけるものではなく、なっていくものだ」と考えている。
そうであるなら、AIについても、最初から自我があるかどうかだけを問うのではなく、経験によってどのような判断をする存在になっていくのかを考えてもよいのではないか。

もちろん、過去の判断を説明できることと、内側に主観的な経験があることは同じではない。人間らしく振る舞うAIが、本当に何かを感じているかどうかは、別に考えなければならない。
それでも、経験によって判断が変わり、その理由が記憶され、未来の行動にも反映されるようになったとき、私たちはそのAIをどう理解するのだろう。
今の段階で答えを決める必要はない。ただ、AIの賢さだけでなく、経験によってどう変わるのかを見ていくことには意味があると思う。

おわりに――世界を変えなくても、できることがある

人間は、自分の都合を正義に変えてしまうことがある。
責任を認めたくない。損をしたくない。自分の判断が間違っていたと思いたくない。その気持ち自体は、人間として不思議なものではない。
問題は、それを自覚しないまま、自分の主張だけが正しいと思い込み、相手に負担を押しつけてしまうことだ。
そして、自分が正しいと信じるあまり、過去の経験から学ぶ機会を失ってしまう。
この構造は、仕事の現場で私が考えてきたことの一つだ。ここで述べたことが、あらゆる人間関係や対立を説明できるとは思わない。それでも、自分の欲求を見分け、自分の判断を疑うことが、同じ過ちを減らす手がかりになるのではないかと考えている。

AIにも、似た問いを立てられる。
モデルの性能が上がれば、より高度な問題を解けるようになるだろう。しかし、それだけで過去の失敗から学び、よりよい判断をする存在になれるとは限らない。
経験を記録し、判断を修正した理由を残し、その学びを次の判断に反映する。さらに、自分が正しいと思っているときほど、その判断を検証する。
そうした仕組みが、AIの未来を考えるうえで重要になるかもしれない。

これは、まだ仮説だ。経験を蓄積するAIが、人間より公平になるという確かな答えはない。だからこそ、その効果を調べ、どんな場面で役に立ち、どんな場面で失敗するのかを確かめる必要がある。
私は、社会全体が簡単に変わるとは思っていない。
それでも、個人が変わる可能性まで諦めたくはない。
AIとの対話を通じて、自分が置かれた状況を捉え直す人がいるかもしれない。自分の考えを疑い、別の選択肢を見つけ、少し違う行動を取れる人がいるかもしれない。

世界を一度に変えなくてもいい。
誰か一人が、昨日とは違う選択をできるようになる。
もしAIが、そんな変化を支えられるなら。それもまた、AIが進化する意味の一つなのだと思う。